父の日が近いですね
私の父は、天国にいます。
父は、本当に無口な人で、物心ついた頃からの、娘である私との個人的な会話はほとんどありませんでした。だから、父の過去のことを娘でいながらほとんど知りません。
ただ暖かい愛情だけはいつも感じていました。
そんな父がガンになり、いやしを神様に求め、福音を伝え、と日々祈っていた私。教会にも、父のいやしと救いをお祈りしていただいて数年間の月日がありました。
以前にも書きましたが、父が天国へ行く3カ月前位に、私は生まれて初めて、父が神様を信じて、若い頃熱心に教会に通っていた事を父の口から聞きました。
開いた口が塞がらないとはこの事。
お父さん、どうかイエス様の十字架を信じてください…イエス様は、私達の罪のために身代わりとなって
…
入退院を繰り返した父への手紙に、何度となく書いてきた福音のことば。
「ゆきこより、ずっと聖書を知ってる」
じゃあ、あの私はなんだったんだろうか?
目が点になりました。
1番近い親子の関係でいて、同じ住まいにいて、初めて聞くとは。
なんて変わった親子なんだ。
ある時、教会のお二人の方がそれぞれ、私の父のためにとりなし続けてくださる中で、祈りの中で、お父さんはすでに救われている、という思いになった、と別々の時に言っていました。
神様は、祈り続ける中で明らかにしてくださいました。
その父は、
おそらく、聞いた短い話しの内容からみて、私の予想では、父は教会、つまり、守りであり、キリストが満ち溢れている「教会」から離れてしまい、神様につまずいてしまったのだと思います。
非常に辛い出来事があった時に、自分の祈りが、祈った通りに、きかれなかった事がつまずきの原因だったようです。
その時に、父が、聖書にある「感謝の教え」を知っていたなら。
「感謝の祈り」を知っていたなら、と今、本当に思います。
私も過去、確かに、人生で様々なことがある中で、感謝の祈りをするだけでしかわからなかった、感謝でしかわかり得なかった「神様のみ思いの深さ」があることを思っています。
感謝する中で、わからなかった事にある神様の愛の深さと、神様の最善、を知ることができました。
感謝の教え、感謝の祈りは重要。
私たちの教会で、この聖書にある、「感謝」を神様から、まるで、「べったら漬け」の様に教えていただいてきているのは、本当に大きな恵みであり、本当に重要なことなんだと、あらためて感じました。
父の地上での人生の時がわずかとなった時、母も弟も見守る中で、十字架の信仰を握ってその後しばらくして父は天国へ帰りました。
まだこれから神様を信じる私の母ですが、その時に母は、
「あなた天国で会いましょう。」
と言いました。
7月が父の召天した月ですが、父の日が近くなると、あの時のことを思い出します。
十字架の主に心から感謝します。