先週、私の大好きな叔母が天国へ旅立ちました。

病を知り、約3カ月位でしょうか、祈っていましたが、
叔母についての祈りのこたえ。
神様はギリギリのギリギリで道を開いて、そこから一気に成しとげてくださいました。
閉ざされていた扉は開きました。
天国へ行く数時間前に突然の形で、五分間だけ。
神様としか思えないタイミング。
不可能に見えた面会が開かれ、福音を叔父叔母二人の前で語ることができました。
イエス様の福音をじっと聞いていた叔母。信じて、と言う私の目をまっすぐに見て、うんうんとはっきりと頷き決意を示していました。
時間が限られている環境の中,その後は部屋を出なければならなかったのですが、叔母は子供の時からキリスト教には触れてきたので、あとの祈りを神様にゆだねました。
でもはっきりと信じる意志を示していたので心が平安です。
ある日聖書を読んでいたら、
"それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか」と言われた。
マルコの福音書 3章4節
このことばが響いてきました。
仕事を休んで近々叔母の救いのために会いに行くように神様は語られているのかな、と感じていました。
しかし、親族皆、面会も電話も全てストップでした。
面会に行った日の朝、神様が情報をくださいました。
数日前に母や叔母、従姉妹達が、数人でまとまって面会しに行った事を知りました。
私は、これは祈りのこたえ、神様のゴーサインと捉えました。
その日のうちに仕事を早退させていただいて、一人で病院に向かったのです。
直前に会えたのは神様の奇跡。
こんなにすぐに天に帰っていくなんて、全く思っていませんでした。
確かに、神様が命を延ばしてくださっていたのでは、と思います。
叔母の姉である私の母は、私がイエス様の福音を話して、叔母がはっきり信じたことを話しをしたら、
「あなたが最後の面会者よ。ありがとう、1番いいことをしてくれた、とても平安だったと思うわ、本当に良かった。」と泣きながら話していました。
これから神様を信じていく母にも、神様が触れてくださり、本当に嬉しかったです。
深い悲しみの中にいる叔父や従兄弟達が神様からの特別ななぐさめを受け、1番早い神様の時に救われますように。家族、親族皆主の時に必ず救われます。
生きて働かれる主に期待して全てのことを祈ってゆきたいと思いました。

さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。
そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。
彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか」とみなで話し合っていた。
ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。
それで、墓の中に入ったところ、真っ白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。
青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。
マルコの福音書 16章1~6節
叔母が天国へ旅立った日の朝のデボーション。
神様は私の目には不可能に見える事を動かしてくださいました。
永遠のいのちを確信し、神様に感謝いたします。
とりなしてくださった皆様、お祈りをありがとうございます。