皆様お祈りをありがとうございます。
7月、8月は私にとって、精神的にも身体的にもハードな月となりましたが、
今、9月に入ってようやく落ちついてきました。
まだ、実はこれから向き合って取り組んでいくべき事、お祈りするべき事が続いています。
病院通いが沢山で、この数ヶ月、一気に色々な事を考えさせられました。
一気に色々な立場の方々の気持ちを感じ、自分も体験しました。
そして、一気にまた神様を頼ることとなり、様々な事を学んでいます。
その中で、
いつでも、何でも、神様に祈り、頼ることができる特別な幸せを思いました。
神様を知らない事は、どんなに不安だろう、と心が激しく痛みました。
イエス様の十字架によって、永遠のいのちをいただいている事の重みと、感謝を思いました。
目の前の沢山の病の方々、苦しみ悲しみ、絶望しているかもしれない方々に、今ここで福音を伝えたい、と感じました。
主が私と共におられる。
現在自分には、医学的には色々な心配な可能性がある中で、不思議な平安がありました。
結局、相変わらず不安の涙は一滴もなく。
この平安は、やはり神様なんだと思います。
そして、お祈りくださっている皆様。本当にありがとうございます。
セカンドオピニオンは、本当に神様の導きがあったと感じました。
ブログに詳しく書いていくべきなのか、その事を迷って遅れてしまいましたが、やはり書いていく事にいたします。
1番始めに膵臓の病を見つけてくださった病院の内科では、詳しい説明は無く、緊急とまではいきませんが、すでにボーダーラインなので手術をお勧めしますとの初めから手術のお話しで、私も質問することもせず、質問する事もわからず、すぐに大学病院の外科に転院になりました。
そして、外科に転院してからは、外科ですから、手術という目的に向かって全てがスピーディに動いてゆきました。
でも、今月、9月の20日に予定された膵臓手術に対しては、いくら祈っても、全く確信が来なくて、むしろ、曖昧なまま、わからず手術に至ることに対して非常に不安になっていきました。
そんな中で、8月末に与えていただいた内科のセカンドオピニオン。
詳しく私の今の病状を医学的な見解から丁寧にお話をしてくださいました。※専門用語や医学的な詳細はブログには書きません。
選択肢が2つ。
しかし、非常に難しい選択で、どちらもそれぞれリスクを負っての選択。またはメリットもある選択。
手術または、
経過観察
(現在の医学では、のう胞は小さくなり消える事はあり得ない。このままのサイズであわよくば現状維持があるかどうか、である。しかし、のう胞が大きくなるなら手術となる)
ここには詳細は書きませんが、経過観察にある可能性としては、それなりのリスクもある。
そして、これらの医学的な見解を元に、全て自分自身で、祈って決断いたしました。
これから先、神様に祈りつつ、数ヶ月ごとに経過観察をしていく事にいたしました。
診てくださったクリスチャンのドクターは、医学的な説明をしてくださった後、
「人間の力で、医学的にわかることはここまでです。
どんな優れた医療だとしても、先の事は完璧にはわからない。本当の意味で、全ての事は神様にしかわからない。」
「非常に難しい選択になりますが、神様によく祈り、ご自身で決断を。」
とお話ししてくださいました。
まさにその通りだと思い、感謝いたしました。
そして、私は、私自身で神様に祈り決断いたしました。
結論としては20日の手術をキャンセルすることに。
リスクはあります。
しかし、リスクがあっても、心には大きな平安がありました。
少ししてから、母に手術のキャンセルの決意を伝えました。
母はやはり、とても心配してくれていて、胸がいっぱいな様子でしたが、安心した様子で、
「私にはどうするのがいいかわからない。
あなたの信じた通りになさい!」
と大きな声で言いました。
その時、そのことばが、
「さあ、行きなさい、あなたの信じた通りになるように。」
と書いてある聖書のみことばと重なって私の心に響いてきました。
そして、9月5日の日は、外科のドクターとのお話しをする日になっていました。
そしてその日、手術をキャンセルし、外科から内科にもどり、病院を転院する事が決まりました。
今、平安です。
経過観察の中で、神様は私に祈る時間をくださったと思います。
どの様な形で導かれるとしても、神様は確信を与えてくださる。神様は私をいやしてくださいます。
また、2回続けての断食の祈り込みが導かれました。一つは教会のための祈り込み、一つは個人的なことのため。
これも私の人生では、教会の今の流れの中、らせん階段の歩み。
再び昔と同じ歩みを通っていると感じました。
2回目の祈り込みの終わった朝のデボーションからは、握るべきみことばの確認が与えられました。すでに語られていたことばでした。
そして、今、教会では長崎チームが出ています。
若い二世代、三世代の信仰の自立たて上げのみこころ、その他、があるチームとされています。
私は決して若くはないですが、教会に立てられている長老や牧師の方々に対して自分は信仰的にかなり頼っていることを思わされました。
特に今、病の事を通して、自分で聞いて従う、判断する選ぶ、祈る。
この訓練が置かれている事を感じています。
そして、自分の足で立っていくために、長崎でお祈りしてきたいと思い参加の希望を出しました。
確認のみことばを、デボーションでヨハネの福音書4章の中から受けました。
皆様のお祈りを心から感謝いたします。
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