2018年10月21日日曜日

命綱

"しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。"

コリント人への手紙 第二 12章9~10節

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日曜日語られたメッセージの聖書箇所。

またまた!まさに私に?ピッタリ必要なことばでした。


私はこのところ、ずっとずっと自分の弱さを思わされていました。悔い改め感謝し。


ただ一つの確かなもの。神様のことばに立つ決意をしてより頼みながらも、それでも、なおも弱さを感じさせられ。


ひたすら弱い自分を見せられることになりました。


でも、それでも神様のことばに立ちました。


祈り、すでに受けたと信じます!

告白しました。


もう断食せずにはいられない。そんな心の状態も、その祈りを祈り切ったら、すっと軽くなりました。


そして、

神様は守ってくださいました。

感謝いたします。

祈って与えられた結果は最善。

心から全てを神様に感謝して。


そして。


??また、またしても、

えー!!?

どうなってしまうの?!


という出来事が。

サーっと頭の中に最悪な映像が、流れ始め。


でも、教会のデボーション箇所で、


「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」


「事は成就した。

そのことばが心に響いていて。そのことばを思い出した時、また、すっと平安がきました。


この事の後ろには神様のご計画がある。

例えどう見えたとしても。


それにしても半年?1年?激しく次々と色々な事が私に起きていて。

神様、私には難しすぎます。


願わくば、もうこのくらいで…。


神様、私は穏やかに過ごしたい。

でも、神様のお考えは違うらしい。


そして、

気づいたら、昔昔ひと昔。

私は、1番初めのあの私の祈りに帰らされていた。


教会の年度末に、神様はこの事を導かれたのだと思いました。


クリスチャンは、良く見える事だけではない、悪いと思えることを通しても、豊かな恵みが現れ祝福される。

信仰を働かせるなら。

私は弱いけど、神様にあって強いです!


日曜日のメッセージ。

毎週毎週のメッセージが私には命綱みたいに思える。


それほどに。

神様のことばは尊くて。

神様のことばは生きている。


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"まことに、あなたがたに告げます。

だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。

 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。"

マルコの福音書 11章23~24節



この聖書のことばを私の生涯のみことばとして握ります!

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