"しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。"
コリント人への手紙 第二 12章9~10節
日曜日語られたメッセージの聖書箇所。
またまた!まさに私に?ピッタリ必要なことばでした。
私はこのところ、ずっとずっと自分の弱さを思わされていました。悔い改め感謝し。
ただ一つの確かなもの。神様のことばに立つ決意をしてより頼みながらも、それでも、なおも弱さを感じさせられ。
ひたすら弱い自分を見せられることになりました。
でも、それでも神様のことばに立ちました。
祈り、すでに受けたと信じます!
告白しました。
もう断食せずにはいられない。そんな心の状態も、その祈りを祈り切ったら、すっと軽くなりました。
そして、
神様は守ってくださいました。
感謝いたします。
祈って与えられた結果は最善。
心から全てを神様に感謝して。
そして。
??また、またしても、
えー!!?
どうなってしまうの?!
という出来事が。
サーっと頭の中に最悪な映像が、流れ始め。
でも、教会のデボーション箇所で、
「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」
「事は成就した。
そのことばが心に響いていて。そのことばを思い出した時、また、すっと平安がきました。
この事の後ろには神様のご計画がある。
例えどう見えたとしても。
それにしても半年?1年?激しく次々と色々な事が私に起きていて。
神様、私には難しすぎます。
願わくば、もうこのくらいで…。
神様、私は穏やかに過ごしたい。
でも、神様のお考えは違うらしい。
そして、
気づいたら、昔昔ひと昔。
私は、1番初めのあの私の祈りに帰らされていた。
教会の年度末に、神様はこの事を導かれたのだと思いました。
クリスチャンは、良く見える事だけではない、悪いと思えることを通しても、豊かな恵みが現れ祝福される。
信仰を働かせるなら。
私は弱いけど、神様にあって強いです!
日曜日のメッセージ。
毎週毎週のメッセージが私には命綱みたいに思える。
それほどに。
神様のことばは尊くて。
神様のことばは生きている。
"まことに、あなたがたに告げます。
だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。"
マルコの福音書 11章23~24節
この聖書のことばを私の生涯のみことばとして握ります!
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