2019年4月4日木曜日

最善を願うなら

賛美と感謝の力を感じています。


また、とりなしのお祈りが、自分の独り善がりの祈りにならないために、聖霊様に導かれる祈りを祈りたいと切に願う事になったり。

本物の愛は、相手の方々の最善を願う愛。

神様の愛を思う時。


色々な立場の方々のために祈る祈りがありますが、神様の愛をいただいて、祈りたいと思わされます。

立場もそれぞれ違うから、だからそれぞれに必要なお祈りがあることを思いながら。


また、昔から時々思わされる事。


神様のみこころを成せますように。

神様のみこころに従えますように。

神様のみこころに用いていただけますように。


と願って祈っていますが。

例えば人に対して、いかにも良い形で用いていただける、喜んでいただける場合もあれば、

必ずしも、喜ばれない事もある。


むしろ、受け入れられなかったり、憎まれたりすることさえ起こり得る。


でも、神様に導かれることであるなら、本当に必要な事であるなら。


その時、例え理解していただけなかったとしても。神様の導きであり、その人の最善を願うのなら。


理解されようとするよりも、

神様が理解できるように働いてくださるように、神様にゆだね祈る。


神様にゆだねる勇気。

必要です。

動きまわるよりも祈り。


ここ1年?位は急速な早さで神様から難しいレッスンや訓練を受けている感じがしてなりません。


でも、これも神様の愛、ですね。


目を覚まし続けていることができますように。


本当に本当に神様のみこころだけをできますように。


その祈りは、深い深い、献身そのものなんだ、と本当に感じました。





神様、私をご自由に、あなたのみむねのままに。

間違いやすい者をどうか助け、正しく導いてください。




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