2019年7月6日土曜日

試練は益に

神様のみ手の中で病がゆるされました。


手術が必要ということで、今、精密検査が続いています。


人生で2歳児の時に、脱腸で手術を経験。

もちろん記憶はなく。

それ以来、手術はした事がない。


自分自身の心は不思議なくらい静かです。


動揺して涙がでるかと思っていましたが、涙一滴も出ず。


これは、皆さまのとりなしのお祈りと、神様を信じる者の信仰の恵みなんだと感じます。


ただ私は痛いのがダメです。

もちろん、手術しないでいやされますように。

と、祈ります。


始めにかかった病院は膵臓の手術は年間数件だとか。


それで、医大に転院しました。

父が数年通い入院、手術した病院です。


そこは、私がとにかく断食して祈りに祈った場所。

私にとってはある意味、祈祷院の様な場所でした。


そこに戻ってきた。


ぴよぴよの信仰者だった私が、父の病を機に、ヨチヨチと祈りの生活が始まった。


少し前、私はまるで、らせん階段をグルりと回って、またスタートにいるみたい、と感じていました。


そしたら、母との会話で、父が天国へ行ってから、7月11日で、ちょうど14年だと聞きました。


そしたら、昨日の、教会の、デボーション箇所から。

"それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。"

マタイの福音書 1章17節


いったい何の話だ?

という感じになってますが。


神様から個人的に語りかけを受けると、こうなるのです。


つまり、今、大きな節目の時。


色々神様に祈り聞くべき時。


そして、神様が私の人生の大変な時、たしかに共にいてくださり、

語りかけてくださり、最善の計画の道へと導いてくださる。


主日礼拝のメッセージ が、またしてもまたしても、まるで、私にだけ??語られているのか?と勘違いする程タイムリーで、神様のすごさを感じました。


今、とにかくメッセージ を繰り返し聞いています。


例えどの様な状況であり、どのような結果であっても、私はカリスマの信仰に立ちます。

私は本当に未熟者ですが、そうはっきり祈りました。


祈り、励ましてくださっている方々に心から感謝いたします。神様の優しいご愛を、お祈りを受けて感じています。


この目に見えている状況の中で、

これからのことで、神様にあって期待や希望を置けるのは、何と幸せなことでしょうか。


神様が私に最善をしてくださいます!


それから、これから少しスケジュールや負っている事の見直しをするようにも語られていると思っています。

休みなくバタバタ過ぎて、個人的な事を祈る時間が持てないから。

細々した事で頭が忙しい中、今は身体のためにも休息必要だと。


そう導きを聞いて感じています。


それからバタバタ片付けられずに蓄積された、いらない物の山を捨て、足の踏み場を確保します。

工事現場の説明みたいですが。

部屋がすごいことになっている。

ストレスだった部屋をきれいにします!

早く片付けないと、教会 某、愛に溢れた方が、私の部屋を片付けてくださると 言っていらっしゃいます。

見られたらおしまいです

だから片付け実行します。

目を閉じて祈るから、見えなければいいですが?

でもきれいな、場所で祈りたいから。


新しい歩みを。

全てを感謝します!

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