2016年6月22日水曜日

賛美の働きの形

日曜日は、礼拝の賛美の中で、
涙が出てしまいました。

これまでも会衆賛美の中で神様に触れられるということが何回もあったのですが、

私が救われてから間も無く教会の礼拝の時に (聖霊のバプテスマ=初めての聖霊の満たし  を受けた時)と、断食祈祷で韓国へ行った時の賛美、また、今の東京アンテオケの教会の夜の礼拝に通っていた時の賛美中も度々、
共に賛美している中で、不思議な感動でみたさたり、突然号泣してしまう。そんなことが何回もありました。

賛美を聞いている中で、または、会衆賛美の中で触れられる中で、(賛美は主に向かい礼拝し、ほめたたえることなのですが) 臨在の中で祈りが与えられ、その祈りが導かれていく、ということもありました。

さて、先週土曜日から始まったヤング向けの、賛美の集会、リバイバルナイト。

私はアパートでオンラインで
参加しました。素晴らしかったです。
特に、会衆賛美をたっぷりする時間があり、ずっとこんな賛美の時があったらいいなあ、と求めていたものがありました。

また、こころごすぺるコンサートや、Jフェス、ゴスペルの集い、各賛美隊の活動、と賛美が広範囲に、また、色々な形で、勢いをもって神様のご計画に用いられていること、本当に素晴らしいと感じます。

私個人は、賛美について、今どの様な形で導かれているのか、すでにはっきり捉えている部分もあると信じています、
が、具体的な活動について、優先順位とか考えると、踏み出して良いのか?また、教会の組織の中で、この形での働き方でも良いのか?と曖昧になる部分があり、確信がくるまで祈り聞いていく必要を感じています。

とにかく賛美隊として、路上賛美を継続中。

神様にゆだねられた働きの形で仕え、賛美したいと願っています。













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