クリスチャンとしての信仰の歩みの中、神様の語られることば、に対して、私は、「自分が納得したら、いいなと感じて受け入れられたら、」または、「自分がある程度理解できたら、予測できたなら従います。」そんな自分がいるんじゃあないかなあと。
今日、神学校のお祈りの時間に、導き手の講師の方が、「たとえ自分が納得できなかったとしても、神様が語られたなら従うことができますように」とお祈りしていらして、その祈りのことばがずっと心に響いていました。
「納得できたら従う。必ずしもそうじゃないんだ。」あらためて感じて、やっぱりこれは今、神様が継続して私に教えようとされていることなのでは?と思いました。
昔飼っていた飼い犬。
毎年フィラリアの予防の薬を飲ませてもらうのと、犬に必要な予防接種を受けさせなくてはならず、いつも私が獣医さんの所へ連れてゆきました。
その時はお散歩ではないので、「ロンちゃんお散歩だよ。」とは言わず、散歩紐を用意して外へ連れ出すのですが、ロンちゃんは始め散歩と思ったみたいです。
ところが途中から、見覚えのある道にぶちあたり、その横断歩道を渡れば、ロンちゃんが苦手な動物病院!ロンちゃんは、行きたくないのでその場に座り込み、私が紐をいくら引いても右にも左にも前も後ろにもビクともしません。
何で何で!?ロンちゃんとしたらわからないよ〜!といいたいかもしれません。
そこで、いつも私はロンちゃんを抱っこして横断歩道を渡り、動物病院に入りました。
ロンちゃんは中型犬で、ひと暴れすれば、か弱い私の事など軽く倒して逃げることもできるし、咬みつくことだってできるのです。
でも、ロンちゃんは、一度も私に反抗もしないで、いつも私にそのまま抱っこされていました。
ゆだねるように大人しく抱っこされたまま獣医さんの所へ。
ロンちゃんとしたら、獣医さんに行って薬飲まされたり予防接種する意味は全くわからないと思います。
納得できないと思います。
でも、主人が行くと言っているなら従う。主人と、主人がする事に信頼していたのだと思います。
実際、ロンちゃんは、獣医さんにかかり、薬を飲み続けた結果、犬としてかなりの長生きをすることができました。フィラリアの病は犬にとって恐ろしく致命的です。その病から守るためにあった獣医さん行き。実は、無くてはならない大切な守り、恵でした。
「わかってもわからなくても、神様のみこころのみできますように。」いつも祈るこのことば。本当にそうだなあ、と感じました。
完全な愛で私達を愛してくださる神様。全知の神様に全き信頼を持って従いたいですね。
そしてもう一つ。
昨日の神学校の授業では二回続けて、マタイの福音書7章7節からメッセージでした。
あきらめない、求め続ける祈り。これも今継続して語られていると思います。
みこころを求めてゆきたいです。
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。〜聖書
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