2015年10月6日火曜日

聖書観


日曜日のメッセージでは、聖書観について学びました。聖書観には大きく分けて3つの立場があることが語られていました。


①聖書は原典においてあやまりなき神のことば。と信じる立場。
②聖書はあやまりも含むが、しかし聖霊によって神のことばとなる。と信じる立場。
③聖書は真理も含んでいる。(哲学書と同じ考え)と信じる立場。
☆私達の教会の信じる立場は、①です。

私は、聖書を小学生の時から読んだことがありましたが、まだ主を救い主と信じていなかった頃で、③の様な感じで聖書を読んでいたと感じます。聖書はいいもの。良いことが書いてある本だ、と。
当然、信じられる部分と、そうはいかない部分があるじゃないか。そう考えていました。
でも、ある時、聖書に書いてあることは全て真実で神様のことば。そして主は今も昔も変わらない生きて働かれている神様だと知った時、本当に嬉しかったです。

私が、神様が現実に生きておられるとはっきり知って救われたのは、教会に与えられた、み霊の賜物を通して、実際に生ける神様に触れられたからでした。
たとえ信じにくい様な事が聖書に書いてある、と感じたとしても、そもそも神様の全てを理解しようなど、人間の存在で全く無理。
神様は神様なんだから。神様のことばは変わらない。私達が信じる事を選ばなくては。
今、当たり前に、聖書のことばをあやまりなき神のことばだと信じる立場にあるけれど、これは本当に幸せなことなんだと感じます。
どの聖書観に立つかによって、受ける神様のわざや、祝福は違ってしまいます。また、世の中の価値観や考え方がどう変わっても聖書の教えからズレてしまわないように注意しなくてはなりません。
教会の恵と聖霊様の働きの中で、信仰が守られていると感じています。神様の助けの中でいつも信じる事を決心して、歩みたいです。
日曜日には、エルサレムの平和を祈る集いが行われ、インターネットで中継で海外と結び、会場の皆様と共にエルサレムの平和のため祈りました。
さらにこの祈りを、また、イスラエルの働きのためにも祈り続けたいと感じます。
イスラエルチーム。
神様に奇跡を祈り参加を求めたいと思います。



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