2016年4月25日月曜日

取り扱いの中には神様の愛

今日は礼拝中、大失敗をしてしまいました。

ドガーン!と精神にきますが、でも、この事を全てとにかく感謝しました。

自分の情けなさに、心は痛!しかし、こんな時にこそですが、教会の中で神様の暖かさ、配慮を感じたりもしました。

今回の失敗、昨日、賛美隊として路上に立った後処理として、霊的な見分け、対応が足りなかったことや、 自分には鈍感な部分がある。ボンヤリしていたゆえの空き穴があることを強く思わされました。

悔い改め、この失敗から教えられたことをしっかり身につけたいと感じました。

また、礼拝中に語られる預言のことばで、「…今一人一人主からの取り扱い、神様からの整えの手がおかれている…」(預言は、全て必ず吟味する必要があります)
のことばが心に響きました。

このことばを聞いて、
そうだ、神様はこんなにも丁寧に私を扱ってくださっている。
…そう思う事ができました。

不思議なことで、「取り扱い」なんて言葉は、人間的には全然好ましくないと感じますが、同じ言葉でも、神様からのことばは全く違って、真実の深い愛を感じます。
神様からのことばは力。
人を生かすことば。


神様、あなたが願われている姿へと私を成長させてください。
あなたが真実の愛ゆえに、私を取り扱ってくださっていることを、私は知っています。
私はあなたに愛されていることを知っています!













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