2015年5月25日月曜日

気づいたこと

教会の社会人会の集まりでランチに行きました。今月は、パスタ屋さん!


私は、いいダコのトマトソース
パスタにしました。写真に撮ったのは、教会のペットブログにアップしよかと思ったからですが、タコを見て涙する方がいるといけないのでやめました。
私は朝食ぬきだったので2倍盛り。普通盛りと同じ値段サービスでした!
社会人会メンバーと楽しくお話しながら、美味しくいただきました。

そこで昔話しになり、私がいた高校のブラスバンド部が、全国吹奏楽コンクール5年連続金賞で、私が出場した三年生の時は、招待演奏だった話しをしました。つまり、先輩方が取り続けた金賞の恵にあづかった学年でした。
その分半端でなく練習熱心な部活でした。
ランチしながらその話しを自分でしながらある気づきが…
あの時の練習量、拘束時間。私には守りだったなと。
実は私は学生時代、いじめられっ子だったのです。
そんな中部活は、いじめを忘れる事のできる時間、好きなことに集中する時間があり、いつもそこには自分の居場所がありました。それに部活の中では、あからさまないじめをする人はいませんでした。
部活を一歩出るとものすごく緊張して、人目を気にする戦いがありましたが、あの頃極限の孤独にまで追い詰められずに済んだのは、あのブラスバンド部があったからです。

あと、ミッション系の学校でしたため、毎週礼拝の時間がありました。
いじめがつらくて、学校の礼拝で知った主にある時、「私は仕返しはしません。助けてください。」と祈り、
聖書の一番後ろのページに、「私は神様の子どもです。神様の教えに従います。」と書いて名前を書いてみたりしました。

救いについては、まだよくわからなくて、はっきり主を信じ告白したのではなかったのですが。
ただ、学生時代、聖書を熱心に読んでいた時期があり、確かに神様に心をむけていた時があったのです。
あの時はまだ神様が本当に生きて働かれる方だとはわからなかったです。

そんな中で、ブラスバンド部で私に一人の親友が与えられました。
その親友は、私が学年で嫌われ者でいじめられているのを知っているのか、知らないのか、(怖くて確かめることができませんでしたが)私とずっと変わらず親しくしてくれました。その子があの頃の私にとってどれだけ必要な存在だったかわかりません。
あと、昨日、初めて思い出したのは、中学高校と同じブラスバンド部に、牧師家庭のクリスチャンがいて、ほとんど同じクラスでした。もしかしたら、あの子はずっと私のために祈っていてくれたかもしれない。

今まで気づかなかったけど、私の知らない時から、神様に心を向けていた私に、神様はすでに働いていてくださっていた…

そんなことを感じました。






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